天明稲荷神社の創立はあきらかではないが、もとは柳澤清五郎の座敷神。柳澤家の祖先が山林に白狐の死骸を発見し、なみの野狐ではないことから懇ろに供養し祠をもうけたことにはじまります。
しかし、柳澤清五郎は明治21年に稲荷社のある山林を売却してしまいます。
翌年、柳澤家所縁の老人から
「我は天明年間(1781−89)に妻恋稲荷から箭弓稲荷に遣わされた白狐である。故あって柳澤家を守護する稲荷となったが、稲荷の屋敷をほかに売却したことはまことに都合が悪い。速やかに買い戻すべし。」
と告げられ、高橋源左衛門は周りの協力によりこの地を所有、大正5年に「天明稲荷神社」と命名し、神職となった高橋源左衛門は日々荒行を重ね、神明奉仕に務めました。
その人徳により天明稲荷社の神徳(火防・盗賊除け・失物発見など)は広域に知れ渡り、多くの信仰を集めました。